焼け野原の江戸に集まった大工・左官たち
明暦の大火で焼け野原になった江戸の町を立て直すため、全国から大工や左官、屋根葺き職人といった、体を使う仕事をする人たちが数多く集まりました。町の再建は急ピッチで進められ、多くの人手が必要とされたのです。
こうした肉体労働者たちは、長時間にわたって力仕事を続けなければなりませんでした。従来の朝夕2食だけでは、体力がとても持たなかったと考えられています。
そこで復興工事の現場では、朝夕の食事に加えて、日中にもう1回食事をとる習慣が広まっていったとされています。これが、1日3回食事をとる暮らしが庶民のあいだに根付く、大きなきっかけの1つになったと考えられているのです。
力仕事と空腹の関係、注意しておきたいポイント
ここで気をつけたいのは、この「復興工事の労働者が3食を始めた」という話は、あくまで有力な説の1つだという点です。当時の詳細な記録がすべて残っているわけではないため、断定はできません。
ただし、力仕事とエネルギー消費の関係については、現代の栄養学からも裏付けることができます。長時間の肉体労働を行う場合、2回の食事だけでは必要なエネルギーを十分にとりきれない場合が多いためです。
こうした体力面での必要性が、当時の職人たちの間で自然に3食を後押しした、という見方には一定の説得力があります。次のページでは、なぜ働く人にとって食事の回数を増やすことがそれほど重要だったのか、もう少し詳しく考えてみます。
