日本人が「3食」になったのは、ある”大火事”がきっかけだった…

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「3食は健康のために生まれた」は実は誤解

ここで、よくある誤解を1つ正しておきたいと思います。それは「1日3食は、健康のために科学的な根拠にもとづいて生まれた習慣だ」という考え方です。しかし、これまで見てきた歴史をたどると、この誤解は正しくないことが分かります。

江戸時代に3食が広まった直接のきっかけは、栄養学的な研究の結果ではなく、火事の復興工事や灯りの普及といった、暮らしの環境の変化でした。健康のためという発想は、後から結果的についてきたものにすぎません。

つまり3食という習慣は、最初から健康を目的に設計されたものではなく、生活のリズムが変わった結果として、自然に根付いていったものだったのです。次のページでは、こうした変化の舞台となった元禄期という時代そのものについて、もう少し詳しく見ていきます。

松尾芭蕉も井原西鶴も活躍した元禄期の経済成長

3食が定着した元禄期(1688年〜1704年ごろ)は、江戸時代の中でも特に経済が発展した時期として知られています。農村では商品作物の生産が広がり、都市の町人たちが経済力をつけていった時代です。

京都や大阪といった上方の町を中心に、出版物や芝居といった娯楽文化も大きく花開きました。俳人の松尾芭蕉や、浮世草子で知られる井原西鶴が活躍したのも、まさにこの時期です。

経済が豊かになり、物や情報の流れが活発になったことは、食生活の変化とも決して無関係ではありません。さまざまな条件がこの時期に重なり合ったことで、庶民の暮らしは大きな転換点を迎えることになったのです。そしていよいよ次のページで、3食が定着した理由の核心に迫ります。

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この記事を書いた人

「知ってよかった。誰かに話したくなる。」を合言葉に、暮らし・歴史・言葉・お金・身体・食べ物など、身近だけど意外と知らない雑学を日々調査してお届けしているBest For Youの編集チームです。難しいテーマもわかりやすく、読み終わった後につい誰かに話したくなるような記事づくりを心がけています。