もしあの大火が起きていなかったら
もし1657年にある大きな火事が起きていなかったら、日本人の3食生活はもっと後の時代になっていたかもしれません。そう考えられるほど、江戸の町にとって大きな意味を持つできごとがありました。それが「明暦の大火」です。
仮にこの火事がなければ、江戸の町は緩やかに発展を続け、大規模な復興工事も必要なかったはずです。その場合、多くの職人が一斉に江戸へ集まる、というきっかけも生まれなかった可能性があります。
もちろんこれはあくまで仮定の話です。しかし、大きな災害がその後の生活習慣を大きく変えることは、現代でも見られる現象です。まずは、この明暦の大火がどれほどの規模だったのかを確認しておきましょう。
死者10万人超ともされる明暦の大火の被害規模
明暦の大火は1657年1月18日に発生した、江戸時代最大級の火災です。振袖にまつわる伝説から「振袖火事」とも呼ばれています。80日近く雨が降らない乾燥した日が続いた後、強い北西の風が吹く中で火が燃え広がりました。
被害は江戸城の天守閣を含む江戸市中の広い範囲におよび、死者は10万人を超えたとも伝えられています。ローマ大火、ロンドン大火と並んで「世界三大大火」に数えられることもあるほどの規模です。
これほどの被害を受けた江戸の町は、当然ながら大規模な復興工事が必要になりました。そしてこの復興工事こそが、日本人の食事回数を変える大きなきっかけの1つになっていくのです。次のページでは、その復興工事の現場に注目します。
