日本人が「3食」になったのは、ある”大火事”がきっかけだった…

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ついに判明、3食が定着した2つの理由

ここまで見てきた材料をもとに、いよいよ本題である「なぜ江戸時代に3食が定着したのか」という理由をまとめます。一般的に、その理由としては大きく2つが挙げられています。

1つ目は、1657年の明暦の大火をきっかけとした復興工事です。全国から集まった大工や左官といった肉体労働者が、体力を維持するために朝夕の食事に加えて日中にも食事をとるようになり、この習慣が江戸の町に広まっていったとされています。

2つ目は、菜種油を使った行灯の普及です。夜でも明るく過ごせるようになったことで、人々が起きている時間が長くなり、朝食と夕食のあいだの時間が空きすぎないよう、昼の食事が自然に組み込まれていったと考えられています。

「火事」と「灯り」という、一見食べ物とは関係なさそうな2つのできごとが、日本人の食生活を大きく変えるきっかけになった。これが、多くの資料で語られている3食定着の意外な理由です。

2つの理由が重なったからこそ3食は定着した

この2つの理由は、別々に起きたのではなく、同じ時期に重なり合ったことが重要なポイントです。復興工事によって「体を動かす時間、働く時間」が長くなり、菜種油の普及によって「起きている時間そのもの」も長くなりました。

働く時間も、起きている時間も長くなれば、当然おなかが空くタイミングも増えます。朝夕2回の食事だけでは、途中でエネルギーが切れてしまう人が増えていったのは自然な流れだったといえるでしょう。

さらに元禄期の経済発展によって、流通が盛んになり、屋台や飯屋といった外食のお店も増えていました。「食べる理由」と「食べる手段」が同じ時期にそろったことで、3食という習慣は庶民のあいだに一気に広まっていったと考えられます。

ただし、これで話が終わるわけではありません。次のページからは、3食が広まった後に起きた、意外な後日談を紹介していきます。

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この記事を書いた人

「知ってよかった。誰かに話したくなる。」を合言葉に、暮らし・歴史・言葉・お金・身体・食べ物など、身近だけど意外と知らない雑学を日々調査してお届けしているBest For Youの編集チームです。難しいテーマもわかりやすく、読み終わった後につい誰かに話したくなるような記事づくりを心がけています。