日本人が「3食」になったのは、ある”大火事”がきっかけだった…

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室町時代の記録が伝える「たかきもひくきも一日再度」

室町時代に入っても、庶民や武士の食事は基本的に2食のままでした。それを裏付ける記録として、戦国大名・北条氏康について書かれた『武者物語』という書物があります。

この中には「およそ人間はたかきもひくきも一日再度づつの食なれば」という一文が残されています。身分の高い人も低い人も、1日2回の食事をするものだ、という意味です。

鎌倉時代の初めに公家のあいだで3食が始まっていたことを考えると、これは意外に感じられるかもしれません。しかし実際には、3食の習慣は一部の上流階級にとどまり、多くの武士や庶民のあいだには根付いていなかったのです。

武士の給料はなぜ「2食分」で計算されていたのか

「では、武士はいつから3食を食べていたのでしょうか」という疑問を持つ方もいると思います。実はこの答えは意外で、江戸時代に入ってからも、武士の給料の計算は2食を基準にしていました。

武士の給料にあたる禄高は、米の量で決められていました。その基準は1食あたり米2合半、1日で合計5合というものです。5合という数字は、2食×2合半という計算から来ていて、3食分ではありません。

つまり制度の上では、江戸時代になっても武士の食事は表向き2食が基本のままだったということになります。庶民のあいだで3食が広がっていく一方で、武士の家計の仕組みは昔ながらの2食基準を引きずっていたのです。この食い違いが、後の時代にどうなっていくのかも興味深いところです。

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この記事を書いた人

「知ってよかった。誰かに話したくなる。」を合言葉に、暮らし・歴史・言葉・お金・身体・食べ物など、身近だけど意外と知らない雑学を日々調査してお届けしているBest For Youの編集チームです。難しいテーマもわかりやすく、読み終わった後につい誰かに話したくなるような記事づくりを心がけています。