日本人が「3食」になったのは、ある”大火事”がきっかけだった…

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なぜ2食では足りなかったのか

「なぜ2食では足りなかったのでしょうか」という疑問について、もう少し詳しく考えてみます。復興工事のような力仕事は、朝から晩まで体を動かし続ける、非常にエネルギーを使う作業です。

朝と夕方だけの食事では、昼過ぎになるとエネルギーが切れてしまい、作業の効率が落ちてしまいます。実際、激しい労働をする農民や漁民のあいだでは、江戸時代より前から間食をとる習慣があったことが記録に残っています。

つまり復興工事の職人たちが3食をとるようになったのは、特別なことではなく、体を動かす量に見合った、ごく自然な工夫だったと考えられます。空腹をがまんしながら働くより、途中で1回食事をとった方が、作業もはかどったはずです。

大工の年収は職人の中でもトップクラスだった

当時の職人の暮らしぶりを示す数字も残っています。江戸時代の大工は、数ある職人業の中でも給料が高い仕事の1つだったとされ、年収に換算すると現在の価値でおよそ300万円ほどだったという指摘もあります。

給料が比較的高かったことは、体力を使う分、それに見合った稼ぎが必要だったことの裏返しとも言えます。江戸の町では、こうした職人たちの働きによって、火事のたびに町が立て直されていきました。

食事をしっかりとることは、体力を維持し、仕事の質を保つためにも欠かせない条件だったのです。そして、職人たちの働く時間を大きく左右した、もう1つの要素があります。次のページでは「灯り」の歴史に注目します。

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この記事を書いた人

「知ってよかった。誰かに話したくなる。」を合言葉に、暮らし・歴史・言葉・お金・身体・食べ物など、身近だけど意外と知らない雑学を日々調査してお届けしているBest For Youの編集チームです。難しいテーマもわかりやすく、読み終わった後につい誰かに話したくなるような記事づくりを心がけています。