流通の発達が菜種油を庶民の手に届けた
菜種油が庶民の家庭にまで広く行き渡った背景には、江戸時代における流通の発達があります。江戸時代の中ごろには、各地の農村で商品作物と呼ばれる、売るための作物の生産が盛んになっていきました。菜種もその代表的な作物の1つです。
生産された菜種は、油を搾る問屋を通じて全国の町へと運ばれ、価格も少しずつ手が届きやすいものになっていったと考えられています。それまで一部の富裕層しか使えなかった灯りが、一般の庶民の家庭にも広がっていったのです。
灯りが手に入りやすくなったことで、江戸の町の生活リズムは大きく変わりました。日没とともに眠っていた暮らしから、夜まで起きて過ごす暮らしへと、少しずつ移り変わっていったのです。
もし灯りが普及していなかったら
もし菜種油による灯りが普及しなかったら、江戸の夜はいつまでも真っ暗なままだったかもしれません。その場合、人々は日が沈むと同時に活動をやめ、朝夕2食のリズムが変わることもなかった可能性があります。
灯りがあるからこそ、人々は日没後も仕事を続けたり、家族で夜の時間を過ごしたりできるようになりました。起きている時間が長くなれば、当然おなかがすくタイミングも増えていきます。
朝食と夕食のあいだの時間が長くなったことで、その間を埋めるように昼の食事が定着していった、という見方もできます。次のページでは、この日本の変化のパターンを、海外の食事の歴史と比べてみましょう。
