農村・漁村では都市より早く3食に近づいていた
実は、3食の広まり方には地域による差もありました。江戸のような都市部で3食が定着したのは元禄期ごろとされていますが、農業や漁業といった激しい体力仕事が中心の農村や漁村では、それ以前から朝夕の食事に加えて間食をとる習慣が根付いていたと考えられています。
これは、これまで見てきた奈良時代の労働者や、明暦の大火の復興工事の職人たちと同じ理屈です。体を動かす量が多い仕事ほど、食事の回数が自然と増えやすかったということです。
江戸時代が進むにつれて、こうした農村・漁村の食生活はさらに回数が増え、3食に加えて朝食前や食事の合間にも軽い間食をとる習慣が広がっていった地域もあったとされています。都市と地方、それぞれのペースで3食化が進んでいったのです。
武士だけは表向き2食のまま取り残された
一方で、すでに紹介したとおり、武士の給料の計算方法は、江戸時代を通じて2食分を基準にしたままでした。実際の食事回数は3食に近づいていたとしても、制度上の建前は昔ながらの2食基準を引きずっていたのです。
これは、生活習慣の変化と、それを支える制度や仕組みの変化のあいだには、どうしてもタイムラグが生まれることを示す例だと言えます。庶民の暮らしが先に変わり、制度が追いつくのは、もっと後の時代になってからでした。
実は、こうした「習慣が先に変わり、制度が後から追いつく」というパターンは、現代の私たちの暮らしの中にも、形を変えて見られることがあります。次のページでは、3食化がもたらした、少し意外な健康面での後日談を紹介します。
