鎌倉時代、僧侶が中国から持ち帰った3食の習慣
2食が当たり前だった日本の食事に、初めて変化の兆しが見えたのは鎌倉時代の初めごろでした。きっかけは、中国大陸に渡っていた僧侶たちが日本に戻ってきたことです。
中国では古くから1日2食が基本でしたが、僧侶が学んだ禅宗の世界では、修行の一環として食事の作法が細かく決められていました。その影響もあり、宮廷や公家といった上流階級のあいだで、1日3回食事をとる習慣が少しずつ広まり始めたと言われています。
1221年に成立した『禁秘抄』という宮中のしきたりを記した書物には、すでに1日3回の食事の様子が記されています。鎌倉時代の初めには、少なくとも一部の人たちのあいだで3食の習慣が始まっていたことになります。
この時点ではまだ庶民に広がらなかった理由
ここで気をつけたいのは、この時点ではあくまで一部の上流階級だけの習慣だったという点です。庶民の暮らしにまで3食が広がるには、まだ長い時間が必要でした。
理由は単純で、庶民にとって食べ物は貴重品だったからです。米などの食料を1日3回に分けて食べる余裕は、経済的にも生活の仕組みの面にもありませんでした。室町時代になっても、庶民の暮らしは基本的に2食のままだったと考えられています。
「貴族は3食、庶民は2食」という身分による差は、その後も長く続くことになります。実は、この差が完全になくなるまでには、江戸時代の半ばまで待たなければならなかったのです。
次のページでは、庶民の食事に「昼」という時間帯がどのように入り込んでいったのか、言葉の面から探ってみます。
