明治以降、学校と軍隊で3食が制度になった
江戸時代に庶民のあいだで広まった3食の習慣は、明治時代に入ると、さらに国全体へと広がっていくことになります。明治以降に整えられていった学校教育や軍隊の制度の中で、規則正しく1日3回食事をとることが奨励されるようになったと言われています。
学校では給食のような形で決まった時間に食事をとる仕組みが少しずつ整えられ、軍隊でも集団生活のリズムとして3食が組み込まれていきました。こうした制度を通じて、3食は個人の習慣というより、社会全体の共通ルールのような性格を帯びていきます。
江戸時代までは、あくまで生活の中で自然に広まっていった3食が、明治以降は制度によって後押しされる形へと変わっていったのです。
昭和の栄養学者・佐伯矩が3食を科学的に提唱
3食の習慣がさらに強く社会に根付くきっかけとなったのが、昭和初期の出来事です。「栄養学の父」とも呼ばれる医師の佐伯矩(さいき ただす)博士が、1935年に1日3食を理想的な食事の回数として提唱したとされています。
この提唱は、国の栄養政策にも取り入れられていったと言われ、「1日3回きちんと食べること」が健康に良い習慣として、学校教育やメディアを通じて広く浸透していきました。
江戸時代に暮らしの都合から生まれた3食という習慣が、昭和になって初めて、栄養学という科学的な裏付けを与えられたことになります。「習慣が先、科学的な理由づけが後」だったという順番は、覚えておくと面白いポイントです。次のページでは、現代における食事回数の実情について見ていきます。
