日本人が「3食」になったのは、ある”大火事”がきっかけだった…

当サイトは、広告収益により運営されています。

江戸幕府が開かれてから3食定着までの空白の80年

1603年に江戸幕府が開かれてから、庶民の食事が2食から3食に変わるまでには、実はかなりの時間差があります。3食が広く定着したのは元禄期、1688年から1704年ごろのことなので、江戸幕府が始まってから80年以上が経ってからの変化だったことになります。

この間、世の中は戦国の混乱から抜け出し、少しずつ平和な暮らしが根付いていきました。江戸という新しい町には、全国から人が集まり、人口も急速に膨らんでいきます。

食事の回数が変わるという生活習慣の変化は、一朝一夕には起こりません。江戸時代の前半、暮らしの土台がじっくりと整えられていったからこそ、元禄期になって一気に変化が表面化したと考えられます。

江戸の人口は当時の世界でも屈指の規模だった

江戸時代の江戸の町は、世界でも有数の大都市に成長していきました。18世紀初めごろには人口100万人規模に達していたとされ、当時のロンドンやパリと並ぶ、あるいはそれ以上ともいわれる規模だったという指摘もあります。

人が集まれば、それだけ働き口も増え、物や食べ物の流れも活発になります。地方から出てきた職人や商人が江戸で働き、暮らしを立てるようになったことも、食生活が変化する土台になったと考えられます。

人口が増えるスピードに、食事の習慣が追いついていく形で、江戸の暮らしは少しずつ姿を変えていきました。そして、その変化を一気に加速させる、ある大きなできごとが起こります。次のページで詳しく見ていきましょう。

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22
友人にシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

「知ってよかった。誰かに話したくなる。」を合言葉に、暮らし・歴史・言葉・お金・身体・食べ物など、身近だけど意外と知らない雑学を日々調査してお届けしているBest For Youの編集チームです。難しいテーマもわかりやすく、読み終わった後につい誰かに話したくなるような記事づくりを心がけています。