パンが日本で売れなかった… 明治7年「あんパン」が変えた常識

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再開発された銀座の街とパン屋の再出発

ふたたび火事に見舞われた木村家でしたが、ちょうどこの時期、銀座の街全体が「煉瓦街(れんががい)」として新しく生まれ変わろうとしていました。

煉瓦街とは、火事に強い煉瓦造りの建物を並べて作られた、当時としては最先端の街並みのことです。文明開化を象徴する場所のひとつとして知られています。

木村家も、この新しい銀座の一角に店を構えることになりました。安兵衛と英三郎は、この再出発を機に、あらためてパン作りと向き合うことになります。

「もっと日本人の好みに合ったパンを作ろう」。この思いが、のちの大きな転機につながっていきます。

「日本人の好みに合うパン」への試行錯誤

安兵衛と英三郎が目指したのは、これまでのイースト菌のパンとはまったく違う、日本人の舌になじむパンでした。

試行錯誤を重ねる中で、親子はあるものに目を向けます。それは、パンとはまったく関係のなさそうな、和菓子の世界でした。

ヒントになったのは「酒まんじゅう」だったとされています。酒まんじゅうとは、お酒の香りがふんわりと漂う、昔ながらの蒸し饅頭のことです。この発酵の仕組みに、親子は可能性を感じたようです。

この着想が、日本独自のパン作りを大きく前進させることになります。次のページで、その中身をくわしく見ていきましょう。

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この記事を書いた人

「知ってよかった。誰かに話したくなる。」を合言葉に、暮らし・歴史・言葉・お金・身体・食べ物など、身近だけど意外と知らない雑学を日々調査してお届けしているBest For Youの編集チームです。難しいテーマもわかりやすく、読み終わった後につい誰かに話したくなるような記事づくりを心がけています。