全国にあんぱんを広めた三代目の存在
木村屋の三代目にあたる木村儀四郎(きむらぎしろう)という人物も、あんぱんの歴史を語るうえで欠かせない存在です。
儀四郎は、しばらく音信不通だった時期があり、その間に日本各地を巡りながらパン作りを学んでいたと伝えられています。そして木村屋に戻ったあと、あんぱんや木村屋の評判を全国のパン屋へと広めていったといわれています。
木村安兵衛が生み出し、山岡鉄舟が後押しし、儀四郎が全国へ広める。三代にわたる関わりが、今日のあんぱんの姿につながっているのです。
こうして広まっていったあんぱんは、当時の新しい時代の象徴としても扱われるようになります。
文明開化の象徴として数えられた逸話
先ほど少し触れましたが、明治時代には「文明開化の七つ道具」と呼ばれる、当時の新しい物事をまとめた言い方があったと伝わっています。
新聞や郵便、鉄道といった、時代を大きく変えた存在と並んで、あんぱんの名前が挙げられていたとされる資料も見つかっています。食べ物がこうした顔ぶれに並ぶのは、当時としてはかなり異例のことだったといえそうです。
一つのパンが、時代を象徴する存在として語られるようになった。それだけ、あんぱんの登場は当時の人々にとって大きな出来事だったのでしょう。
もし、このあんぱんという発明がなかったら、日本のパン文化はどうなっていたのでしょうか。
