パンが日本で売れなかった… 明治7年「あんパン」が変えた常識

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もしあんぱんが生まれていなかったら

ここで少し想像してみましょう。もし木村親子が酒種によるあんぱんを作り出していなかったら、日本のパン文化はどうなっていたでしょうか。

もちろん、いずれは別の形でパンが日本人に受け入れられていった可能性はあります。ただ、あんぱんという分かりやすい成功例がなければ、日本人向けのパン作りへの挑戦がここまで早く広がらなかったかもしれません。

あんぱんの成功は、その後のジャムパンやクリームパンなど、日本独自の菓子パンが次々と生まれる流れの土台になったとも考えられます。

今なお受け継がれているのは、発想だけではありません。当時の製法そのものも、大切に守られています。

今も受け継がれる酒種づくりのこだわり

木村屋總本店では、150年以上にわたって、当時と同じ製法で酒種あんぱんを作り続けているといいます。

酒種は、お米と麹、水だけで作られる非常にデリケートな発酵種です。気温や湿度によって発酵の様子が変わるため、専門の職人が日々状態を見極めながら管理しているそうです。

この酒種を代々受け継いでいく職人は「種師(たねし)」と呼ばれています。数値化しきれない感覚を、世代を超えて伝えていく。そんな地道な積み重ねが、今のあんぱんの味を支えているのです。

この伝統の味は、現在も商品として実際に楽しむことができます。

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この記事を書いた人

「知ってよかった。誰かに話したくなる。」を合言葉に、暮らし・歴史・言葉・お金・身体・食べ物など、身近だけど意外と知らない雑学を日々調査してお届けしているBest For Youの編集チームです。難しいテーマもわかりやすく、読み終わった後につい誰かに話したくなるような記事づくりを心がけています。