パンが日本で売れなかった… 明治7年「あんパン」が変えた常識

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天皇への献上はどのように実現したのか

天皇のような高い身分の方が、街なかのお店に立ち寄って食事をするということは、当時としては考えられないことでした。そこで選ばれたのが「行幸(ぎょうこう)」という形です。

行幸とは、天皇がある場所へお出かけになることを指す言葉です。今回は、お花見という行事の中で、お茶菓子としてあんぱんが用意されることになりました。

山岡鉄舟の橋渡しによって、この特別な機会にあんぱんが献上される運びとなったのです。木村親子にとっては、まさに一世一代の大舞台でした。

では、そのお花見はいったいどこで開かれたのでしょうか。

舞台は隅田川沿いのお花見だった

献上の舞台となったのは、東京・向島にあった水戸藩の下屋敷です。現在の東京都墨田区にあたる、隅田川沿いの土地でした。

ここで、天皇と皇后の両陛下がお花見を楽しまれることになり、そのお茶菓子としてあんぱんが用意されました。桜の名所としても知られていた土地での出来事だったといわれています。

お花見というおめでたい席にふさわしいよう、木村親子はあんぱんにもうひとつ、特別な工夫を加えることにしました。

その工夫こそが、今も「桜あんぱん」として語り継がれている、あの意匠です。

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この記事を書いた人

「知ってよかった。誰かに話したくなる。」を合言葉に、暮らし・歴史・言葉・お金・身体・食べ物など、身近だけど意外と知らない雑学を日々調査してお届けしているBest For Youの編集チームです。難しいテーマもわかりやすく、読み終わった後につい誰かに話したくなるような記事づくりを心がけています。