パンが日本で売れなかった… 明治7年「あんパン」が変えた常識

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献上後、あんぱんはどう広まっていったのか

天皇への献上をきっかけに、木村屋のあんぱんは宮中御用達というお墨付きを得ることになりました。この評判は、口コミを通じて江戸の町、そして全国へと広がっていったと考えられています。

「天皇陛下も召し上がった特別なパン」という話題性は、当時の人々にとって大きな魅力だったはずです。それまで一部の人しか知らなかったパンという食べ物が、一気に注目を集めることになりました。

評判が評判を呼ぶ形で、あんぱんは木村屋の看板商品として、ますます人気を高めていきます。

その人気ぶりを示す、ある伝承が残されています。

一日に驚きの数が売れたという言い伝え

あんぱんの人気が最も高まっていた時期には、一日に10万個以上売れることもあったという話が伝わっています。これはあくまで語り継がれてきた話であり、正式な記録として数字が残されているわけではありません。

ただ、これほどの数字が語り継がれていること自体、当時のあんぱん人気がいかにすさまじいものだったかを物語っているといえるでしょう。今のように大量生産の設備が整っていない時代に、これだけの数を作り続けるのは、決して簡単なことではなかったはずです。

この人気を全国に広げるうえで、ある人物が大きな役割を果たしたといわれています。

その人物について、次のページで紹介します。

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この記事を書いた人

「知ってよかった。誰かに話したくなる。」を合言葉に、暮らし・歴史・言葉・お金・身体・食べ物など、身近だけど意外と知らない雑学を日々調査してお届けしているBest For Youの編集チームです。難しいテーマもわかりやすく、読み終わった後につい誰かに話したくなるような記事づくりを心がけています。