パンが日本で売れなかった… 明治7年「あんパン」が変えた常識

当サイトは、広告収益により運営されています。

ひとりの元農家が始めたパン屋の挑戦

今回の主人公は、木村安兵衛(きむらやすべえ)という人物です。もともとは茨城の農家の生まれで、水害の影響もあって江戸に出てきたと伝えられています。

その後、いくつかの仕事を経験したのち、明治2年(1869年)に東京の芝で小さなパン屋を開きます。「文英堂」という名前の店でした。武士の時代が終わり、新しい生き方を探す中での、大きな決断だったといえます。

安兵衛はすでに50歳ほどになっていたとされ、当時としてはかなり思い切った挑戦だったようです。

ところが、この挑戦はすんなりとはいきませんでした。開業してすぐに、思わぬ試練が待っていたのです。

創業直後は火事続きの苦難の日々

開店した年のうちに、店は火事で焼けてしまいます。しかし安兵衛はあきらめず、翌年には現在の銀座にあたる場所に店を移し、屋号を「木村家(のちの木村屋)」と改めて営業を再開しました。

ところが、この店もふたたび火事に遭ってしまいます。焼け残ったのは石でできた釜だけだったといわれています。それでも息子の英三郎(えいざぶろう)や職人たちの協力で、なんとか営業を続けました。

二度の火事を乗り越えても、パンそのものの人気はまだ十分ではありませんでした。客足を呼び戻すには、何か新しい工夫が必要だったのです。

そこで安兵衛親子は、思い切った方向転換を決意します。次のページでは、その具体的な中身に迫ります。

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22
友人にシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

「知ってよかった。誰かに話したくなる。」を合言葉に、暮らし・歴史・言葉・お金・身体・食べ物など、身近だけど意外と知らない雑学を日々調査してお届けしているBest For Youの編集チームです。難しいテーマもわかりやすく、読み終わった後につい誰かに話したくなるような記事づくりを心がけています。