開戦の合図はどのように出されたのか
1896年8月27日の朝、最後通告の期限である午前9時が近づいていました。ハーリド側からは、期限のわずか1時間前になっても、宮殿を明け渡す様子は見られませんでした。それどころか、午前8時ごろには、イギリス側に「本当に発砲するつもりなのか」と問い合わせる使者を送ってきたとも伝えられています。
イギリス側の答えは変わりませんでした。午前9時、最後通告の期限が正式に切れます。そのわずか2分後、午前9時2分に、イギリス軍艦ラクーン号、スラッシュ号、スパロー号が一斉に宮殿へ向けて砲撃を開始しました。合図は特別な号令ではなく、あらかじめ決められていた時刻そのものだったといわれています。時計の針が9時を指した瞬間から、事態は一気に動き出しました。
遠くから戦いを見守っていた人たちがいました
この戦いには、意外な一面もありました。実は、砲撃が始まる前後、港の周辺には多くの見物人が集まっていたと伝えられています。イギリス側は前日のうちに、非武装の船に港から離れるよう指示していましたが、陸地からこの様子を見守っていた住民は少なくなかったようです。
当時のザンジバルの人々にとって、目の前で近代的な軍艦が並び、宮殿に向けて砲撃を行うという光景は、生涯忘れられない出来事になったと考えられます。新聞や雑誌の挿絵にも、燃え上がる宮殿と、それを遠巻きに眺める人々の様子が描かれています。戦争という言葉から連想される、兵士同士が入り乱れる激しい肉弾戦とは、かなり異なる光景がそこにはありました。むしろ一方的な砲撃に近い展開だったことが、当時の記録からもうかがえます。
