38分で終わった戦争…1896年、その間に起きたことが凄すぎた

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開戦の合図はどのように出されたのか

1896年8月27日の朝、最後通告の期限である午前9時が近づいていました。ハーリド側からは、期限のわずか1時間前になっても、宮殿を明け渡す様子は見られませんでした。それどころか、午前8時ごろには、イギリス側に「本当に発砲するつもりなのか」と問い合わせる使者を送ってきたとも伝えられています。

イギリス側の答えは変わりませんでした。午前9時、最後通告の期限が正式に切れます。そのわずか2分後、午前9時2分に、イギリス軍艦ラクーン号、スラッシュ号、スパロー号が一斉に宮殿へ向けて砲撃を開始しました。合図は特別な号令ではなく、あらかじめ決められていた時刻そのものだったといわれています。時計の針が9時を指した瞬間から、事態は一気に動き出しました。

遠くから戦いを見守っていた人たちがいました

この戦いには、意外な一面もありました。実は、砲撃が始まる前後、港の周辺には多くの見物人が集まっていたと伝えられています。イギリス側は前日のうちに、非武装の船に港から離れるよう指示していましたが、陸地からこの様子を見守っていた住民は少なくなかったようです。

当時のザンジバルの人々にとって、目の前で近代的な軍艦が並び、宮殿に向けて砲撃を行うという光景は、生涯忘れられない出来事になったと考えられます。新聞や雑誌の挿絵にも、燃え上がる宮殿と、それを遠巻きに眺める人々の様子が描かれています。戦争という言葉から連想される、兵士同士が入り乱れる激しい肉弾戦とは、かなり異なる光景がそこにはありました。むしろ一方的な砲撃に近い展開だったことが、当時の記録からもうかがえます。

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この記事を書いた人

「知ってよかった。誰かに話したくなる。」を合言葉に、暮らし・歴史・言葉・お金・身体・食べ物など、身近だけど意外と知らない雑学を日々調査してお届けしているBest For Youの編集チームです。難しいテーマもわかりやすく、読み終わった後につい誰かに話したくなるような記事づくりを心がけています。