発端は王様の突然の死でした
事件の始まりは、1896年8月25日にさかのぼります。当時のザンジバルの王様、ハマド・ビン・トゥワイニという人物が、この日突然亡くなりました。ハマドは比較的イギリスと良好な関係を保っていた王様だったとされています。跡継ぎがはっきり決まらないまま王様が亡くなったことで、ザンジバルの宮廷には緊張が走りました。
次に王位に就くのは誰なのか、そしてその人物はイギリスとどう向き合うのか。多くの人がこの点に注目していました。ザンジバルの王位継承の慣習では、次の王がイギリスの承認を受けることが前提とされていました。ところが、王様が亡くなってからわずかな時間のうちに、想定外の展開が起こります。次のページでは、その展開のスピードについて、具体的な数字とともに見ていきます。
王位宣言までにかかった時間はわずかでした
ハマドが亡くなってから、次の王を名乗る人物が現れるまでの時間は、驚くほど短いものでした。ハマドの死からおよそ数時間のうちに、いとこにあたるハーリド・ビン・バルガシュという人物が宮殿に入り、自ら新しい王を名乗ってしまいます。通常であれば、後継者の選定にはイギリス側との調整や手続きが必要でした。しかしハーリドは、その手続きを踏まないまま行動に出たのです。
これは、王位継承のルールから見れば明らかな「先走り」でした。実はハーリドがこうした行動を取ったのは、この時が初めてではなかったとされています。以前にも一度、似たような動きを見せて周囲を驚かせたことがあったといわれています。今回はそれよりもさらに踏み込んだ形で、実力行使に近い方法を選んだことになります。この行動が、イギリス側の強い反発を招くことになりました。
