38分で終わった戦争…1896年、その間に起きたことが凄すぎた

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「最後通告」という外交の重い一言

ハーリドの即位を認めないイギリスは、まず外交的な手段で解決を図ろうとしました。それが「最後通告」です。最後通告とは、相手にこれ以上譲歩する余地がないことを伝え、期限までに要求を受け入れなければ実力行使に出る、という強い意思表示のことです。国と国との交渉の場では、最後通告は基本的に「最終警告」という意味を持ち、これを出した後に引き下がることは、その国の信用に関わるとされています。

イギリスの現地担当者、バジル・ケイヴ領事は、ハーリドに対して宮殿から退去し、武器を捨てるよう求めました。期限は1896年8月27日の午前9時と定められました。ハーリドはこの要求に対し、「旗を降ろすつもりはない。イギリスが本当に発砲するとは思えない」という趣旨の返事を返したとされています。この判断が、その後の展開を大きく左右することになります。

港に集まった軍艦の数を見てみましょう

最後通告が出された時点で、ザンジバルの港には、すでにイギリス海軍の艦船が集まり始めていました。記録によれば、最終的に港には5隻のイギリス軍艦が並んでいたとされています。巡洋艦のセント・ジョージ号とフィロメル号、そして砲艦のラクーン号、スラッシュ号、スパロー号です。中でもセント・ジョージ号は、当時のイギリス海軍の中でも強力な巡洋艦のひとつで、9.2インチという大きな口径の主砲を備えていました。

一方、ハーリド側が用意できたのは、宮殿を守る2800人ほどの兵士や住民、そして旧式の大砲数門と、ヴィクトリア女王から贈られた木造の王室ヨット、グラスゴー号だけでした。数の上では大きな戦力に見えても、その中身には大きな差があったのです。この差が、次のページで見る「誤算」につながっていきます。

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この記事を書いた人

「知ってよかった。誰かに話したくなる。」を合言葉に、暮らし・歴史・言葉・お金・身体・食べ物など、身近だけど意外と知らない雑学を日々調査してお届けしているBest For Youの編集チームです。難しいテーマもわかりやすく、読み終わった後につい誰かに話したくなるような記事づくりを心がけています。