依頼を受けた中島泉次郎という人物
山内堤雲から「分かりやすい旗印を」と頼まれたのが、中島泉次郎(なかじませんじろう)という、逓信省の会計局で働いていた職員だったとされています。
中島は建築の技術に関わる仕事をしていた人物だったと伝えられています。デザインの専門家というわけではなかったようですが、上司からの依頼を受けて、マークの図案を考えることになったようです。
後年、中島自身が当時のいきさつを語った記録が、逓信省に関係する雑誌に残されています。その中で中島は、初代の逓信大臣からも図案作成を命じられたと振り返っているとされています。
一人の職員が手がけた図案が、のちに国の役所を代表するマークになるとは、当時は誰も想像していなかったかもしれません。
初代逓信大臣・榎本武揚について
ここで触れておきたいのが、初代の逓信大臣を務めた榎本武揚(えのもとたけあき)という人物です。幕末から明治にかけて活躍した人物として知られています。
逓信省が発足した明治18年に、その初代大臣に就任したとされています。マークの最終的な形を決める段階で、榎本が「Tの上に一本線を足してはどうか」というアイデアを出したという説も伝わっています。
中島泉次郎が図案を考え、上司の山内堤雲が間をつなぎ、大臣の榎本武揚が最終的な判断に関わる。こうした複数の人物の関わりがあったからこそ、〒マークは生まれたと考えられます。
次のページでは、いよいよマークが発表された日の出来事に近づいていきます。
