考案者・中島泉次郎のその後
〒マークの図案を実際に考えたとされる中島泉次郎は、もともと郵便船の旗印として分かりやすいマークを考えるよう頼まれただけだったと伝えられています。
まさか自分の考えた図案が、逓信省全体を表す正式な徽章になるとは、本人も思っていなかったようです。
後年、中島自身がこのいきさつを振り返って語った記録が、逓信省に関係する雑誌に残されているとされています。その中で中島は、自分の考案したものがこれほど有名になり、身近な存在になったことに、満足していた様子がうかがえるとされています。
官報の訂正劇を、当の本人は知らなかった?
さらに興味深いのは、中島泉次郎自身が、官報での「T」から「〒」への訂正劇について、当時はよく知らなかったとされている点です。
自分が考えた図案が、一度は「T」として誤って発表され、その後訂正されるという一連の騒動があったにもかかわらず、本人はその詳しい経緯を把握していなかったと伝えられています。
マークを考えた本人が、その後の混乱をあまり知らなかったというのは、少し面白いエピソードではないでしょうか。
次のページでは、複数ある由来の説の中で、他にどのようなものが語られているのかをもう少し詳しく見ていきます。
