1904年セントルイス大会で起きた、数々のハプニング
1904年のセントルイス大会のマラソンは、初期オリンピックの中でも特にハプニングが多かった大会として知られています。距離は約40キロでしたが、開催時期の暑さや道の悪さが選手を大きく苦しめました。
コースには自動車も走っており、まき上がる砂ぼこりで呼吸が苦しくなった選手もいたと伝えられています。また、途中で車に乗って一部の区間を移動した選手が、一度は優勝と発表されてしまうという珍事件も起きました。
この一件はすぐに発覚し、その選手は失格となっています。当時は今のように審判の目や記録の仕組みが整っていなかったからこそ、起こり得た出来事だといえるでしょう。
このように、初期のマラソンには数字の違い以上に、運営面での混乱がつきものでした。こうした混乱を経て、次の大会ではついに、あの42.195キロが誕生します。
Q. なぜ次の大会の距離が、後の「正式な基準」になったの?
ここまで見てきたように、初期のオリンピックのマラソンは、大会ごとにトラブルと距離のばらつきが続いていました。そんな中で行われた1908年の大会が、後にマラソンの距離を語るうえで欠かせない存在になっていきます。
この大会で記録された42.195キロという距離は、実はそのすぐ後の大会でそのまま正式な基準になったわけではありません。しばらくのあいだは、この後も距離が変動する時期が続いたとされています。
それでも、この1908年の距離は、のちのちまで語り継がれる特別な数字として記憶され続けました。なぜこの大会の距離だけが、他の大会と違って歴史に残ったのでしょうか。
その理由を探るために、まずはこの1908年の大会そのものが、どういう大会だったのかを見ていきましょう。
