昭和の非常口は「漢字3文字」だった、緑の人に置き換わったきっかけは218人の犠牲?

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なぜ7割もの入れ替えができたのか

答えは、器具ごと交換しなかったことです。記録によれば、ほとんどの現場では誘導灯の箱をそのまま残し、中の表示板だけを差し替えました。

ここで思い出したいのが、文字を大きくしたときに箱も大きくしていたことです。皮肉な話ですが、その大きな箱が役に立ちました。すでに広い表示面が確保されていたので、そこに絵の板をはめれば済んだのです。工事は短時間、費用も抑えられます。

加えて、大きな火事が続いて消防の指導が厳しくなっていた時期でした。「早く替えたい」と「安く替えられる」がそろったため、日本中の看板が短期間で顔を変えました。

ところで、この切り替えより先に動いていたものがあります。1980年の産業規格です。

実は産業規格のほうが先に絵へ変わっていた

太田幸夫さんの説明では、1980年に、それまでの文字表記から絵文字表記へと国家規格が切り替わっています。JISと呼ばれる日本の産業規格です。消防庁の告示より2年早い動きでした。

この違いは、法律と規格の役割の差から来ています。産業規格は「こういう形と色で作りましょう」という技術の基準です。一方、消防庁の告示は「全国の建物はこれを使うこと」という義務のほうを決めます。作れるようになるのが先、使うことが決まるのが後、という順番です。

この2年のずれは無駄ではありませんでした。1980年の段階で日本には形の決まった絵があったからこそ、次の一手を打てたのです。

その一手が、日本の案を国際機関に提出することでした。ただ、その会議室には先客がいました。ソビエト連邦の案です。

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この記事を書いた人

「知ってよかった。誰かに話したくなる。」を合言葉に、暮らし・歴史・言葉・お金・身体・食べ物など、身近だけど意外と知らない雑学を日々調査してお届けしているBest For Youの編集チームです。難しいテーマもわかりやすく、読み終わった後につい誰かに話したくなるような記事づくりを心がけています。