昭和の非常口は「漢字3文字」だった、緑の人に置き換わったきっかけは218人の犠牲?

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昭和の誘導灯には、人の絵がありませんでした

建物の出口の上で、いつも静かに光っている緑の看板。走っている人の絵を思い出す方がほとんどだと思います。あの絵は、日本人の暮らしにすっかり溶け込んでいます。

ところが、あの絵は昭和のはじめからあったわけではありません。昭和の中ごろまで、日本の建物で光っていたのは「非常口」という漢字3文字だけでした。人の絵は、どこにも描かれていなかったのです。

つまり「昔からずっとあの緑の人だった」という感覚は、まちがいです。ある年を境に、文字から絵へ、日本中の看板がいっせいに入れ替わりました。その年がいつだったのか、そしてなぜ入れ替える必要があったのか。ここが今回の本題です。

先にひとつだけ、確かなことをお伝えします。切り替わったのは戦後すぐでもなく、平成に入ってからでもありません。答えは昭和の後半、それも1970年代より後の話です。

世界中で見かけるあのマーク、生まれた国は日本です

海外旅行に行った方なら、覚えがあるかもしれません。空港でも、ホテルでも、地下鉄でも、日本と同じ緑の走る人が光っています。言葉が読めない国でも、あの絵だけは意味が分かります。

これは偶然ではありません。あの絵は国際規格、つまり世界共通の決めごととして登録されているデザインです。国際標準化機構(ISO=各国が集まって世界共通のルールを決める団体)の規格に組み込まれています。

しかも、その原型は日本で生まれたものです。左向きの絵はE001、右向きの絵はE002という番号で管理されていて、世界中の国がこの形を手本にしています。日本の生活用品が世界標準になった例として、これはかなり珍しいケースです。

では、なぜ日本がわざわざ絵の看板を作ることになったのでしょうか。きっかけは楽しい話ではありません。漢字3文字の看板が、いざというときにまったく役に立たなかったからです。

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この記事を書いた人

「知ってよかった。誰かに話したくなる。」を合言葉に、暮らし・歴史・言葉・お金・身体・食べ物など、身近だけど意外と知らない雑学を日々調査してお届けしているBest For Youの編集チームです。難しいテーマもわかりやすく、読み終わった後につい誰かに話したくなるような記事づくりを心がけています。