「声を届けたい」だけだったのに…エレベーターの穴へ頭を入れた女性が直撃され死亡
2007年7月、メキシコのグアダラハラにあるホテルのジムで、24歳のジェシカさんは、下の階にいる人へ声を届けようとしました。ここまでは普通の用事です。ところが選んだ方法が、まさかの「開いたエレベーターの昇降路へ頭を突っ込んで叫ぶ」でした。もちろん、エレベーターの昇降路は人が顔を出して話すための場所ではありません。
そして最悪のタイミングが来ます。ジェシカさんが下を見ながら声をかけていたところ、下の階からエレベーターのかごが上昇してきました。頭を入れていた場所へ金属製のかごがそのまま突っ込み、頭部を直撃。ジェシカさんはその場で死亡しました。たった「下に声をかけたい」という目的のために、よりにもよってエレベーターの進路へ頭を置いてしまったわけです。
しかも、この話の呆れるところは、特殊な機械を使ったわけでも、複雑な操作をしたわけでもないことです。電話や呼び出し装置、階段など普通の手段はいくらでもありました。それなのに選んだのが「エレベーターの穴から叫ぶ」。ダーウィン賞の事例らしく、「なぜそこで、その方法を思いつくのか」と思わず首をかしげたくなる一件です。
便利な設備ほど、使い方を外すと危険です
普段の生活では、エレベーターは便利で安全な設備に見えます。そのため、機械そのものへの警戒心が薄れやすいのでしょう。しかし安全装置があることと、危険な使い方をしても安全ということは別です。「ちょっと頭を入れるだけなら大丈夫」という感覚が、一線を越えてしまう典型例でした。
もちろん実際の事故には多くの条件が重なっています。ただ、ダーウィン賞で繰り返し登場するのは、「最後の一歩だけ止めれば避けられたかもしれない」という構図です。だからこそ、話を読んだ側は驚きながらも、自分ならどこで立ち止まるかを考えられます。
身近な設備は、使い方を少し変えただけではすぐ壊れないように見えます。そのため「一回くらいなら」と感じやすくなります。しかし、見た目に変化がなくても、安全のための余裕は減っています。
設備の安全性は、正しい使い方をしたときに成立するものです。用途を外せば、同じ設備でも危険の意味が変わります。
