④ジェームズ・ディーンの「リトル・バスタード」は事故後も災難が続いた?
1955年9月30日、俳優ジェームズ・ディーンはポルシェ550スパイダーを運転中、カリフォルニア州で別の車と衝突し、24歳で亡くなりました。彼が乗っていた車は「リトル・バスタード」と呼ばれていました。事故後、この車は単なる廃車ではなく、「まだ災難を起こし続ける車」として有名になります。
伝えられている話では、事故車が運ばれる途中で落下し、作業員がけがをしたとされています。その後、エンジンや部品が別の車に使われ、それらの車でも事故が起きたという噂が広まりました。さらに、車体を運んでいたトラックが事故を起こしたという話もあります。ただし、これらが一つの「呪い」によって起きたと確認されたわけではありません。
なお、ディーンが事故に遭う直前には速度超過の切符を切られていたことも記録されています。ただし、事故時に実際どれほどの速度だったかははっきりせず、別の車が進路へ曲がってきたことも事故原因の一部でした。
「部品まで呪われた」とされた理由
この話が怖く感じられるのは、一台の車だけでなく、部品まで災難と結びつけられている点です。事故後に部品が移動すれば、当然ながら複数の車や人が関係することになります。そこへ「同じ車の部品だった」という共通点が加わると、別々の事故まで一本の物語に見えてきます。
また、ディーン自身が若くして事故死したため、車の印象も強く残りました。歴史資料で確認できる中心部分は「1955年の交通事故でディーンが死亡したこと」と「車の愛称がリトル・バスタードだったこと」です。その後の不幸の連鎖は、報道や伝聞によって膨らんだ部分があります。次はさらに極端で、「呪いの設定そのものが創作だった」と判明した箱です。
事故車のその後は、確認された出来事と伝聞が混じっています。だからこそ「事故死した車が、その後も人を巻き込んだ」という一本の物語として語られるようになったと考えると分かりやすいでしょう。
しかも、事故後に車体や部品が複数の場所へ移ったことで、目撃情報が一つに集まりにくくなりました。行方が分からなくなるほど、「伝説だけが残る」という状態も起こりやすくなります。
