②ツタンカーメン王の墓は、発見直後から「呪い」が騒がれた
1922年、英国の考古学者ハワード・カーターは、エジプトの「王家の谷」でツタンカーメン王の墓を発見しました。ほぼ完全な状態で残されていた墓には、黄金の棺や玉座、装飾品など大量の副葬品があり、20世紀を代表する考古学上の発見となりました。ところが翌年、発掘を支援していたカーナーヴォン卿が、蚊に刺された傷から感染症を起こして亡くなります。
この死をきっかけに、新聞は「ファラオの呪い」を大きく報じました。古代エジプトの墓には死者を守る文言が刻まれることもあり、墓を荒らした者に災いが起きるというイメージ自体は以前からありました。ただ、ツタンカーメンの墓に「開けた者は死ぬ」と書かれた決定的な碑文があったという話は、後世の物語として広がったものとされています。
カーナーヴォン卿の死は、墓を開けた数か月後に起きた出来事でした。しかも死因は、蚊に刺された傷を傷つけてしまい、そこから感染したことによる血液中毒とされています。
「墓を開けた人は次々に死亡」は本当なのか
呪いの話では、発掘に関係した人物が次々と早く亡くなったという印象が強く語られます。しかし2002年には、カーターの記録にある44人の欧米人について、生存期間を調べる研究が行われました。その結果、墓の調査に関わった人たちが特に早死にする傾向は確認されませんでした。
さらに、カーター本人は発見後も長く生き、発掘した品々の整理と記録を続けています。つまり、実際の墓と発掘史には確かな事実がある一方、「墓を開けたから死が続いた」という部分は別に考える必要があります。古代の墓そのものより、発見を一気に世界中へ広めた新聞報道が「呪い」のイメージを強めた点が重要です。次は、同じ宝石でも、背景に征服の歴史が色濃く残る一品です。
後世の映画や小説では、墓から怪物が現れるような描写もありますが、実際の発掘記録は大量の品物を整理する地道な作業が中心でした。呪いのイメージと現場の実態にはかなりの差があります。
墓の発掘が進んだ後、カーナーヴォン卿以外の関係者の多くが長く生きたことも重要です。特定の死だけを強調すると、実際よりも「死が連続した」ような印象が生まれてしまいます。
