4人目は「指揮棒」が命取りになった音楽家
17世紀フランスでルイ14世の宮廷音楽を支えたジャン=バティスト・リュリは、フランス・オペラの発展に大きな役割を果たした作曲家です。イタリア生まれでしたがフランスで才能を伸ばし、宮廷で高い地位を得ました。そんな華やかな経歴を持つ彼の死因は、あまりに身近な事故でした。
1687年、リュリは国王の病気からの回復を祝う『テ・デウム』の演奏を指揮していました。そのとき、拍子を取るために使っていた長い杖を自分の足にぶつけ、足の指をひどく傷つけたとされています。小さな打撲に見えますが、傷は悪化しました。現代のような抗菌薬がない時代だったこともあり、感染が広がっていきます。
リュリが使った道具は、現在の軽い指揮棒というより、床を打って拍子を示せるほどの大きさでした。そのため、足を傷つけるという事故が起こり得ました。仕事に必要な道具が、同時に危険の原因にもなったわけです。華やかな宮廷音楽の舞台裏には、そんな意外な一面がありました。
足の小さな傷が命を奪った時代
リュリの傷は腫れや膿を伴うようになり、最終的には壊疽に至ったと伝えられています。彼は足を切断することを望まなかったとする記録もあります。ダンサーとして活動していた彼にとって、足を失うことは仕事そのものに関わる重大な問題でした。結果として治療の選択肢が狭まり、1687年3月22日に亡くなりました。
現在なら、傷口を洗浄し、感染を抑える薬を使い、必要に応じて手術を行うなど、複数の方法が考えられます。しかし17世紀には、細菌が感染症を起こす仕組みが分かっていませんでした。事故自体はわずかな出来事でも、治療環境が違えば結果は大きく変わります。リュリの最期は、「小さなけが」が命に直結しやすかった時代を実感させる例です。
感染が進んだ結果、傷口の状態は大きく悪化しました。壊疽になると組織が傷み、治療は非常に難しくなります。当時は原因となる細菌の存在が知られていなかったため、予防や治療の考え方も現在とは大きく異なりました。事故の小ささと、結果の重大さの差が、この逸話の怖さでもあります。
