アドルフ・フレドリクは以前から胃腸の不調を抱えていた
王立武具博物館が紹介する1771年の記録には、アドルフ・フレドリクが以前からさまざまな体調不良を抱えていたことも書かれています。頭痛や片頭痛、腹痛、けいれんのような腹部の痛み、便秘や下痢などです。つまり、亡くなった日の食事だけが突然すべてを生み出したわけではなく、もともとの健康状態も考える必要があります。
現在の医学なら、こうした症状を整理して原因を調べるでしょう。しかし18世紀には、消化器の病気を正確に区別する知識や検査方法が十分ではありませんでした。そのため、医師の説明と周囲の人の印象が混ざりやすかったのです。王が豪華な食事をした直後に亡くなったことで、食事が強く記憶されるようになったのも自然な流れだったのでしょう。
王立武具博物館が紹介する記録には、便秘や下痢を繰り返したこと、腹部の痛みなどが記されています。つまり、健康な人が突然、食べ過ぎだけで倒れたという話ではありません。長年の不調があった人物が、重い食事のあとに急変したと考えると、逸話の印象とは違う姿が見えてきます。
亡くなった後の検査記録まで残っている
アドルフ・フレドリクでは、死後の解剖記録が現在まで残っています。1771年の記録には、胃の中に食事の残りがあったことや、腸の状態などが細かく記載されています。現代人には読みにくい表現ですが、当時の医師たちが「何が体の中で起きていたのか」を確かめようとしていたことが分かります。
この記録からも、セムラだけを取り出して原因とするのは難しいと分かります。歴史の逸話は一つの料理を主役にすると覚えやすくなりますが、実際の食事は複数の料理から成り立っていました。さらに王の長年の体調もありました。次は、食べ物とは別の意味で奇妙な死因です。処刑されたことは確かでも、その具体的な方法が謎として残った人物が登場します。
当時の解剖記録は、現代の解剖報告書とは用語も考え方も違います。それでも、胃の内容物や腸、肝臓などの状態を観察していたことが分かります。これは、王の死を単なる噂で終わらせず、医師たちが原因を探ろうとした証拠でもあります。死後の資料が残っているからこそ、後世の伝説と比較できます。
