アイスキュロスはなぜシチリアにいたのか
アイスキュロスはアテネだけで活動した劇作家ではありません。晩年にはシチリア島の都市ゲラを訪れ、そこで暮らしていました。古代ギリシャでは、文化人が都市から都市へ招かれることは珍しくなく、劇作家は有力者や都市の祭りと結びつきながら活動していました。アテネで名声を得たアイスキュロスが遠方でも歓迎されたことは、当時の評価の高さを示しています。
彼の墓碑には劇作家としての功績より、戦いに参加した経験が強く刻まれていたとされます。これは、本人や同時代人にとって何を誇るべきかが、現代の私たちとは違っていたことを感じさせます。世界的に知られた劇作家であっても、本人の時代には軍務や市民としての役割も大切でした。死の逸話だけを見ると奇人のように見えますが、実際には社会の中で役割を担った人物だったのです。
ゲラはシチリア南部にある古代都市で、当時はギリシャ文化の影響が強い地域でした。アイスキュロスがそこで活動していたこと自体は、古代ギリシャの文化圏が現在のギリシャ本土だけに限られていなかったことを示しています。遠く離れた土地で迎えた最期だったことも、後の逸話を印象深くしました。
古代の「変わった死」は物語になりやすかった
アイスキュロスの例から分かるのは、昔の人の死が、そのまま事実の記録として残るとは限らないことです。とくに、予言が実現したように見える出来事は、物語として非常に分かりやすくなります。「落ちてくる何かで死ぬ」という予言が語られていたなら、ワシとカメの逸話は、その条件にぴったり合います。こうして後世の読者にとって、忘れにくい最期になったのでしょう。
一方、現代の歴史研究では、古い伝記の内容を他の記録と照らし合わせます。墓碑、同時代の記録、後世の伝記など、資料の性質を分けて考えるのが基本です。アイスキュロスの死因は、その代表例と言えます。奇妙な話ほど、事実か伝承かを確かめる手間が必要なのです。次に登場する人物は、もっと近代に近い時代の人物ですが、「実験が死につながった」と語られてきました。
古代の人々が現代人より迷信深かった、と単純に考えるのも正確ではありません。記録を残す目的そのものが、現代とは違っていました。歴史上の人物の人生を「教訓のある物語」として伝えるため、象徴的な出来事が選ばれることもあります。死因の逸話を見るときは、その文章が何のために書かれたのかも手掛かりになります。
