手がかりを整理してみると
ここまでの手がかりをまとめると、次のようになります。
富士山が「不動の日本一」でなかったのは1895年から1945年までのおよそ50年間。
その山は当時の日本の外地にあり、標高は富士山よりおよそ176メートル高かったとされています。
名前には「新しく、高い」という意味が込められ、明治天皇によって名付けられたとされています。
山頂には小さな神社もあったとされ、当時は登山や学校教育の対象にもなっていました。
候補はもうこの地域にまで絞られた
こうした条件をすべて満たす場所は、当時の日本領の中でも限られています。
朝鮮半島の最高峰は白頭山で、標高はおよそ2744メートルとされ、富士山より低い山です。
つまり朝鮮半島には該当する山はありませんでした。
残る候補は、台湾にある、あの山だけです。
次のページで、ついにその名前をはっきりとお伝えします。
