当時の登山愛好家たちが語ったとされる思い
記録によれば、1905年ごろに行われたこの山への登山が、当時の新聞や雑誌で大きく取り上げられたとされています。
専門的な探検というよりも、趣味として山を楽しむ人たちの間で話題になったようです。
登頂の様子に感激し、詩を贈った人もいたと伝えられています。
1918年には登山を主催する団体もでき、一般の人が参加できる登山イベントも開かれるようになりました。
一般的には、こうした動きを通じてこの山の人気がさらに高まっていったとされています。
もしこの山に登った人が現地にいなかったら
ここで少し視点を変えてみます。もし当時、日本人がこの山を「発見」していなかったら、どうなっていたでしょうか。
実はこの山は、統治が始まる前から現地の先住民の間で古くから知られており、それぞれ独自の名前で呼ばれていたとされています。
台湾の漢民族の間でも「玉山」という名前が、清の時代の記録にすでに登場していたといわれています。
つまり「発見」というよりも、統治する側が新しい名前を「上書き」した、という表現の方が近いかもしれません。
では、実際にこの一帯が日本の統治下に入ったのはいつだったのか。次のページで整理します。
