「統治」と「日本の一部」は同じ意味ではない
ここで少し注意しておきたい点があります。「統治していた」という言葉と「日本国内だった」という言葉は、厳密には少しニュアンスが異なります。
当時の台湾は法律上、日本の領土として扱われていたとされていますが、内地(本州や北海道など)とは異なる制度で統治されていました。
こうした地域は「外地」と呼ばれ、内地とは別の総督府という組織によって管理されていました。
そのため、当時の人々の感覚としても、内地と外地は「同じ日本」でありながら、少し違う場所という認識もあったようです。
こうした背景を知っておくと、この後の話がより理解しやすくなります。
地図の色が変わるとはどういうことか
当時の教科書や地図では、台湾や朝鮮半島は本土と同じ色で塗られ、「日本」の一部として描かれていました。
現在の地図とは色分けがまったく違うため、今の私たちが当時の地図を見ると、少し違和感を覚えるかもしれません。
この地図の中で一番標高の高い場所を探すと、答えは富士山のある本州ではなく、南の島にたどり着きます。
ここまで手がかりを集めてきましたが、いよいよその山の正体に迫るところまで来ました。
次のページで、ついにこの山の名前と場所を明らかにします。
