技術ができても「売れる未来」が見えませんでした
超音速旅客機の難しさは、飛ぶことだけではありません。旅客機は毎日、多くの人を安全かつ安定して運び、運航費を回収しなければ成り立ちません。速度が2倍以上になっても、燃料を大量に使えば運賃が上がりやすくなります。騒音規制が厳しくなれば、飛べるルートも限られます。つまり「世界最速の旅客機」が、そのまま「最も便利な旅客機」になるとは限りません。
実際、米国では超音速飛行による騒音や衝撃波への関心が高まり、1973年には陸上での民間超音速飛行を制限する規則が施行されました。NASAの歴史資料は、1968年の米空軍機による超音速飛行で、窓ガラスが割れるなどの出来事も記録しています。技術の実現可能性だけでなく、社会が受け入れられるかどうかが計画の存続を左右したのです。
そして、この話は「超音速旅客機そのものが無価値だった」という意味ではありません。英仏のコンコルドは1976年から2003年まで商業運航を続けました。米国のSSTが中止されたあとも研究は続き、後の静かな超音速飛行の研究につながっています。失敗した計画でも、次の技術の土台になることがあります。
「速ければ勝ち」という時代ではありませんでした
1960年代は、より速く、より高く、より大きくという考え方が技術開発を強く引っ張った時代でした。ところが1970年代に入ると、石油価格の上昇や環境問題への関心が強まりました。航空会社が求めるものも、単純な速度だけではなく、燃費や運航費を含めた使いやすさへ傾いていきます。
米国SSTの中止は、この変化が大型技術計画に直接影響した例といえます。計画を始めたときに魅力的だった未来像が、数年後には別の価値観から見直されることがあるからです。巨額プロジェクトでは、完成まで10年近くかかることも珍しくありません。だからこそ、最初の目標が最後まで社会の需要と一致するとは限らないのです。
コンコルドは実際に運航へ進みましたが、利用できる路線や座席数が限られ、超音速旅客機の市場が大きく広がることはありませんでした。米国SSTの中止は、速度競争だけで航空の将来を描けないことを示す出来事でもあります。
その後の航空機開発では、速度をさらに上げることよりも、燃費、騒音、安全性、整備のしやすさなどを合わせて改善する方向が強まりました。速さだけを追うより、毎日使えることを優先する発想が広がったのです。
