チェルノブイリでは何を試そうとしていた?
1986年4月26日、旧ソ連のチェルノブイリ原子力発電所4号機で大事故が起きました。事故前に予定されていたのは、原子炉が停止して蒸気の供給がなくなったときでも、タービンの回転する力で発電機をどれだけの時間動かせるかを確かめる試験です。目的は、外部からの電力が失われた際に、非常用設備へ電力をつなぐまでの時間を少しでも確保できるか確認することでした。
この試験自体は、条件を整えて行えば禁止されるようなものではなかったと、国際原子力機関の後年の分析でも説明されています。問題は、試験計画の安全面が十分に詰められていなかったことでした。計画には原子炉の安全性を下げる操作も含まれており、現場がどの条件までなら進めてよいのかが明確ではありませんでした。
試験の目的だけを見ると、発電機を長く動かすという比較的地味な実験に見えます。ところが、原子炉では電力を失った直後の数十秒や数分が安全上とても重要です。その時間を測る試験だからこそ、条件管理が欠かせません。
予定された実験が危険な条件に変わった理由
試験は本来、原子炉を停止させる流れの中で行われる予定でした。ところが電力系統側の事情で停止が延期され、試験に向けた準備だけが進みました。その結果、4月25日から26日にかけて、原子炉は長い時間、普段とは異なる条件で運転されることになりました。現場では試験を成立させることが優先され、途中で生じた条件の変化に合わせて判断を続ける必要も出てきます。
IAEAのINSAG-7は、当時の運転員の操作だけを事故の原因とする見方を見直し、RBMK型原子炉そのものの設計上の問題も重く扱っています。つまり、「危険な操作を一度した」だけでは説明できません。設計側の弱点と、現場が試験を続けた判断が組み合わさったからこそ、極端な状態に入っていったと見るほうが事実に近いのです。
しかも、試験を行う側と原子炉を運転する側では、重視する点が異なりました。発電機の試験としては成立していても、原子炉全体から見れば別の危険が増えていたのです。この食い違いも判断を難しくしました。
